毎年、娘の誕生日が近づくと、真夜中に一人で入院し、暗い廊下をどすこい歩きした二日がかりの難産を思い出す。一昨年の誕生前夜、ツイッターで軽い気持ちでつぶやき始めたら収拾がつかなくなり、家事アッシーで一旦離脱。夜更けに再開し、気が付けば徹夜でツイってしまった出産記。書いてる本人もいつ終わるかわからない代物。ランナーズハイならぬライターズハイでハイハイハイ。ミュージックオン。春になったら忘れかけてた歌も歌えるさ。


深夜から明け方にかけてのグダグダ書き込みにリアルタイム(?)で辛抱強く付き合って下さったフォロワーさんからの思いがけない反応(特に男子)が大きく、「あ~ら、見~てたのねぇ~(^^;)」メンション(コメント)を頂くたび、嬉し恥ずかし冷や汗が。。。一つのイベント(勝手に作ったんだけど)を終えた脱力感とプレイバックパートX でボーッとしている間に、信州のツイ友 @tatchann さんが素早くまとめて下さった。たっちゃん、だんだん♪


140字のつぶやきもつなげると5000字を越えていたらしい。原稿用紙22枚分だぜ、ワイルドだろぅ~(ひぇ~い)最初の子の誕生日は親になった記念日でもある。せっかく思い出したので、加筆訂正をちょっこし入れ、ここに残すことにした。ユーミンのこの曲は、娘がよちよち歩きの頃ヘビロテだった新譜 DAWN PURPLE 1曲目。


パープルは「人間が初めに見る色」を意味しているそうで、胎児が出産時に感じると言う「紫」の色や、夜明け前の空の「紫」の色等、色々な「初めてみる色」の意味が含まれている。(Wikipedia) 


なぜか知らねど紫つながりのラベンダー。ついでに書くと、ユーミンソングでは「雨の街を」が一番好き。こちらにも紫色が登場する。当時は意識してなかったが、どこかでつながってるのかな。リンク切れブログはこちら


 
音楽番組の企画でユーミンが母校を訪ね、窓辺のピアノでこの歌を弾き語り、女学生時代に戻れる一番お気に入りの曲だと語った時、あの頃の私に戻って思わず涙目のずんどこおばさん。昨秋、プロコル・ハルムとの共演ライブで生の弾き語りにウルウル。(ライブレポ、別の機会に書けるかな)


「Happy Birthday~ヴィーナスの誕生」のイントロは陣痛を思い出すドーン、ドーンという重いハンマー音。親元を遠く離れ、先の見えない初めての子育ての日々、この歌詞にいつも励まされた。娘一人の時にはわからなかったが、次に宇宙人ラベ太郎がやって来てはじめて、娘が手のかからない子だったことを思い知らされた。(Boys will be boys...)数年前、代々木体育館 Shangri-laIIIで聴いた歌声に、怒濤の出産がグルグル。映像がリンクできないのでショートバージョンでどうぞ。ライブレポはこちら



   
     


            歌詞


<twitterまとめ>


明日は娘の誕生日。初産のせいか、出産予定日を過ぎても出てくる気配がない。ドクターに誘発剤の使用を勧められたが、経過は順調、リスク要因もなかったので断った。私に似てのんびりしている子かもしれない。出てきたい時までもう少し待ちたかった。弱い陣痛が来たのは21年前の今頃だった。 (posted at 11:02:22 2/10 2011)


里帰り出産で年末から実家に居候。奇しくも妹達も翌月出産予定で、三姉妹揃って初妊婦。台所で廊下で洗面所で、すれ違う時は「どすこい」「ごっつあんです」と声をかけ合っていた。当時の写真からも、どすこい感が伝わってくる。


微弱陣痛はほぼ一日中続き、寝たり起きたりの2/10。その後の展開を思うと、もっと夕飯をしっかり取り、人生初の大イベントに備えるべきだった。デロリアンがあれば、「それじゃ体力が持たんけん、もっとがっつり食べや!」とダメ出しするのに、臨月の体重を気にしすぎ。夕飯はネギのヌタの印象が強烈すぎて主菜は覚えていない。


初めての経験はなんでも珍しい。出産に向け、どんどん変わってゆく自分の体に興味津々。マニュアルには陣痛が10分間隔になったら病院に行け、とある。夜になると微弱だった腰の痛みが徐々に強くなったが、間隔はまだまだ。家族は皆寝てしまったが、痛みが来るので、横になり、そのたびに時刻をメモ。


女は弱し、されど母は剛>ジャイアンか。まだまだ続きます。男子は一瞬でも女子は十月十日。その先は十人十色。 QT @happy_urobon 女の人にはつくづく頭が下がります!とても男はかなわない QT 微弱陣痛はほぼ一日中続き、寝たり起きたりの2/10


昼間、続けてつぶやく気満々だったがアッシーコール。はらぺこあおむしだというので、メッシー(死語?)&ショッピング付き添い。春色が可愛いので、ついでに自分の服も見たが、試着すると残念な結果に。体型変わり過ぎ。大きな声では言えないが、初産時の臨月体重なう。ありえねぇ~。※ 今はそれより更に重いぜ~。ワイルドだろぉ~。。。( ̄▽ ̄)


てなわけで、陣痛が10分間隔になったのを確認し、入院へ。前述の通り、妹たちも出産を控え、巨体を並べてトドのように 寝ていた。早寝早起きの両親は夢の中。一人娘なら甘えるところだが、子供の頃から姉ちゃん育ち。シーツ類をはがし、布団をたたみ、抜き足差し足、階下へ。支度は出来ている。

草木も眠る丑三つ時。のそのそと階段を下り、タクシーを呼ぼうとしている気配に母が目を覚まし、障子越しに声をかけてきた。「今から入院するけん」と言うと、つられて父も起き、「一人でええんか?」「大丈夫、大丈夫」一人でできるもん。付き添いなしで乗車。気の毒に見えたのか、運転手さんが荷物を持ってくれ、夜間入口へ。


里帰りで初産、陣痛なうの妊婦が真夜中に単身入院するのはよほど珍しかったのか、当直のナースさんも「お一人ですか?」とびっくり顔。やっぱりここは連れ合いや親きょうだいの同行が普通なのだろうか。子沢山の一番上に生まれたてっぺん姉ちゃん。忍の一字だよ女の人生は。18の春の上京以来、働き者の親に無駄な心配をかけぬよう、地味に生きていた。


夜中だったせいか、私は個室に入れられた。血圧や体温を測り、子宮口の大きさを測定。直径5センチ。分娩にはまだ間があるらしい。寝間着に着替えてベッドに横になるが、陣痛は続いている。痛む部分には個人差があるそうだ。経験したことのない超弩級の腰痛が波のように押し寄せては引いていく。痛みの間隔は少しずつ短くなった。


「ヒッヒッフ~、ヒッヒッフ~」激痛を緩和させるため、妊婦教室で教わった呼吸法を実践してみる。立ち会い分娩だとここで心優しいダーリンが一緒に声をかけたり、背中や腰をさすってくれるところだろうが、あいにく私ゃ一人だ。ここまで来たらあと少し。自然の力に任せよう。


不眠不休で陣痛と闘う。ショックだったのはトイレが和式だったこと。古い市民病院だったので仕方ないが、妊産婦と和式との相性は最悪だ。でっかいお腹で前が見えないしバランスが取り辛い。産後は立派な痔主となり、あちこちが痛むので更に悲惨(T_T)入院中、遠征して廊下の先に洋式個室を発見した時は、感動のあまり、思わず頭を下げてしもたがな。


♪新し~い朝が来た 希望~の朝~だ 喜~びに胸を開け 青空~仰~げ …なんてさわやかな気分にはとてもなれん。朝の光がまぶしくとも、私ゃ徹夜明けの陣痛戦士モモレンジャーなんじゃー。武器は年期入りのミーハー魂とめげない心>それぢゃ倒せんて(-_-;)眠れないまま、うなり続けているうち古い親が来た。ヤァ!ヤァ!ヤァ!


2月11日8:30a.m. 親の顔を見られたのは嬉しいが、痛みが和らぐわけではないし、誰も替わってはくれない。初産の母は若かったけど、私はそれなりに年を食って 重ねていた。


結局、両親は、深夜にニンシン娘を見送って以来、一睡もできなかったそうだ。ツーと言えばカーのおしどり夫婦にとって、初孫誕生の瞬間は気になるはずだ。具合のいいことに建国記念日で父の仕事も休み。国民の皆さんも旗を立てて我が子の誕生を祝ってくれることだらう。(違)


トレーの朝食を勧められたが、か細い腰を(嘘)矢吹丈と力石徹にパチパチパンチされているような激痛の中、どうやって食べろというのか。謹んでお断り申し上げると、母がアンパンマン的な何かを買ってきてくれたので有難く食す。無口な父は温かくも心配そうな目で見守るのみ。


陣痛は続くよどこまでも。手帳に、痛む時刻や短い感想をメモり続けたが、陣痛はゼッコーチョー。だんだん文字が歪んでくる。真冬の病室の窓の外、ウグイス嬢が声高らかに皆様の清き一票をお願いにやって来た。ヤァ!ヤァ!ヤァ!「選挙カーうるさい」と書いたことを、はっきり覚えている。


10:30a.m. お産はぼちぼちながら進んでいる。まだ見ぬ我が子は、今、何合目あたりにいるのだろう。ゴールは近いぞ、がんばるんば。内診後、やっと分娩室へ移動となった。微弱陣痛開始から丸一日、夜中の入院から8時間経っていた。


閑話休題。いきなり曲が浮かんだので歌ってみちゃったりなんかして。「ひょっこりひょうたん島」より、タイトル忘れたけどこんな歌。♪20っセンチに10センチ ろうそくと~もし~て行~きました~ぁ バビロンっまでは何センチ(作詞:井上ひさし)産道まではあと何センチ?


まな板の鯉ならぬ分娩台の妊婦となった私。平均的初産なら、そこからゴールまで1~2時間らしいが、私ら(←ここ強調)は4時間かかった。台に上がると同時にスタートを切った市民マラソンのランナーが続々ゴールしてもまだ赤ん坊は出んぞ。新幹線だと東京-広島、飛行機だとグアムあたりまで行ける?


更にうんうんうなり続けるも、今日は休日。スタッフも手薄で、分娩室には誰もいない。痛さのあまりナースコールを押しても、病棟掛け持ちの忙しいナースはなかなか来てはくれない。産むのは私。一人で入院し、一人で痛みに耐える。立ち会い分娩や親がかりの育児を過保護だと感じるのは羨ましさが入っているのかもしれない。


助産婦さんに呼ばれた休日出勤の担当ドクターが押っ取り刀でやって来たが、まだまだ産声は上がらず、親も廊下で待ちぼうけ。今なら携帯やi podやDSなど、暇つぶしアイテムもあり業務連絡やつぶやきもできるが、そこは昭和65年。父は所在なく広い院内を歩き回っていたらしい。


分娩が長引いた原因の一つは、回旋異常だったそうだ。赤ん坊は潤滑油である羊水と共に産道をゆっくり回りながら降りてくるが、うちの子は何を思ったか、逆回りで来たため、抵抗が大きく、なかなか前に進まなかったようだ。だから痛いんだっつうの。方向音痴気味なのは生まれつきと見た。


ここまで長期戦になると、つくづく、昨夜しっかり食べておけば良かったと思うが、時すでに遅し。子供の名前が「ぬた」ちゃんは可愛そうだな。体力残りわずかのモモレンジャー@分娩台は朦朧と考える。10日の副菜がネギのヌタだったことは今も語りぐさだが、主菜が何だったかを誰も覚えていないのも不思議だ。


そんなこんなでやっと来ましたその瞬間。おっと、その前に、モモレンジャーは虫の息。自慢じゃないけど昔っから長距離走は苦手。体力測定の1000mや冬のマラソンコースをいやいや走っている時はいつも、エアーでジョンに「Hold on ラベ、ラベhold on,it's gonna be alright」と励ましてもらった。あの頃はポールファンだったのに、なぜか苦しい時にはいつもジョンの声が聞こえてきた。


酸素マスク、キタ~~~!(テンション上がってきたぞ。)医療ドラマや機内設備案内ビデオでしかお目にかからない酸素マスクを付けられた。ドクターがマイお腹の上に乗り、肘でぐいぐい押し出している。古代から伝わる最終手段?端から見れば驚きのシチュエーションも「面白い(^m^)」と感じてしまった中の人のミーハー魂は永遠に不滅です。


あんなにしつこく私の中に居座り続けた娘も、鉗子で頭を吸引されると、さすがに観念したのか一気に出てきた模様。初めてのお産は本当に重労働だった。(laborとはよく言ったもんだ。)妊娠五ヶ月目の戌の日に岩田帯を巻く習慣は、犬のように軽いお産をという祈りから来たという。ちゃんと実行したのに助産婦さんも認める難産。なぜだ?


なにはともあれ、無事に産まれたぞ、ベイビー♪ よく通る元気な産声にありがとう。仮死状態でデビューした私の第一声は、カエルを踏みつぶしたような残念な声だったそうな。(ブログに書いたので後でリンクする)出産後も鈍痛はまだ続いている。「こんにちは赤ちゃん」をエアーで歌う余裕はない。ゴール後倒れ込んだマラソン走者状態だった。


14:30、出産。助産師さんが娘をお腹に乗せてくれ、初めましてのご挨拶。あまりにも疲れすぎて感動の涙は出てこない。こんな大きな塊を抱え込んで、どすこいどすこい歩き回ってたのね。お産がヘビーだったので、後産(胎盤)の存在をすっかり忘れていたが、こちらは軽くいきむとするっと出た。


先生が「おや?」と声を上げた。ヘルペスが見つかったようだ。疲労困憊すると発症するらしい。出産時に患部が新生児と接触したり、もう少しお産が長引いていたら、赤ん坊の脳が酸素不足となり、障害を起こしていたかもしれないとのこと。無事に産まれた奇跡に感謝。


やっと大仕事を終え、ほっと一息。腰の痛みはまだ続いている。祖母デビューで喜色満面の母が、カメラと差し入れの紙パックジュースを手に、分娩台に来てくれた。男子禁制なのか、遠慮したのか、父の姿はない。ボロボロの顔とよれよれの身体で新しい家族を抱き、スマイル(←現像したら、目がうつろ。)


分娩室から初ストレッチャー(♪)で病室に戻り、遅い昼食。食欲より疲労と寝不足でメニューはさっぱり覚えていない。テレビのニュースがネルソン・マンデラ氏の釈放を伝えていた。娘がお腹に宿った頃、天安門事件。胎動盛んな頃、ベルリンの壁崩壊。愛と平和を共に見つめた子は穏やかな性格だ。※ 息子の時は猛暑で米不足(輸入米)阪神淡路大震災、生まれた日は円高更新のニュース。誕生直後に地下鉄サリン事件。


その夜は子宮収縮の痛みや、背中一面にできた帯状疱疹のひりひりちくちく、シモの痛みなどが元気はつらつコラボして眠れなかった。終わったはずの陣痛が余韻のような感覚で残っている。船から陸に上がり、ゆらゆら揺れているような感じ。私はギリギリ自然分娩だったが、帝王切開の場合は開腹手術なので、跡が痛むらしい。Your mother should know.


妊娠中、数ヶ月先輩妊婦の岩崎(当時は益田)宏美さんが「誕生」というアルバムを出した。岩谷時子さんの詞と大好きだった「ステージ101」出身のピコ(樋口康夫)によるオリジナル曲や、ブラームスやチャイコフスキーなどクラシックのメロディに日本語訳を付けたもの。母になる喜びや祈りを歌った穏やかな気持ちになれるのでいつも聴いていた。


喜太郎の「シルクロード」や安田祥子・由紀さおり姉妹の童謡のCDもテープに取り、ウォークマンと共に入院バッグに入れた。ゆったりした音楽が心地よかった。息子がお腹にいた頃は、娘の幼稚園や習い事にアッシーな日々で、お子ちゃま系やJ-WAVE。当時のFMは音楽たっぷりでおしゃべりは少なかく快適だった。ナビゲーター(DJ)はジョン・カビラ。流れていた曲は覚えていない。


妊婦時代、映画館で観たのは独身時代から大好きだった インディジョーンズ 3作目。西部劇仕立ての冒険代活劇で、馬で疾走するシーンや、リポビタンDも真っ青の崖っぷちシーンに、お腹の子もグルグルと反応。喜んでいたのか怖がっていたのかは定かでないが、インディジョーンズは好きな映画らしい。


心に浮かぶまま書いていたらこんな長さに…。その後、市民病院は移転&新築され、トイレは洋式になった。暗くて寒い廊下をえっちらおっちらペンギン歩き。白くひんやりとした便座の感触も忘れられない。病室でもらった出生届には昭和を線で消して平成の文字、請求書には休日割増し料金が付いていた。<完>(posted at 07:33:27 2/11 2011)



私の背丈をとうに越した娘はもうすぐ家を離れる。お誕生日おめでとう。くれぐれも身体に気をつけて良き人生を。



    Birthday(1)/The Beatles  Birthday(2)

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2013.02.11 / Top↑
シアトルマリナーズのイチロー選手がニューヨークヤンキースに移籍した。昨日までホームだったセイフコフィールドで今日はヤンキースの一員として元チームメートと対戦。発表から新天地での第一歩まであまりのスピードにびっくりした。移籍後の初打席は双方のファンから温かい応援を受け、センター前へのクリーンヒット。盗塁も決め、リラックスした表情でのびのび野球を楽しんでいた。背番号は51から31へ。早くも映像がアップされているのでご案内。


    


   


日本人初のメジャーリーグ野手として10年連続2000本安打を達成。オールスター戦にはオリックス時代に7回(1994~2000)アメリカで10回(2001~2010)連続出場している。老後の楽しみにと始めた拙ブログでも5年前からイチロー日記をミーハー目線で綴ってきた。御用とお急ぎでない方はお越し下さいませ。


    私を野球に連れてって(2007年7月 米オールスター史上初ランニングホームラン&MVP)

    天城越え (2008年8月 日米通算3000本安打達成)

    伝説のチャンピオン(2009年3月 日本WBC連覇)


今日は野球繋がりの二曲。ユーミンの「まぶしい草野球」は、80年代、お菓子のCMソングに使われた。椎名林檎さんはイチローをモデルに「スーパースター」を書いたとブログ仲間のIKUKOさんが教えてくれた。(元気かな。)


        



          寝坊できる休みの日にも
          なぜ あわてて飛んでゆくの
          そんなに夢中にさせるもの
          のぞいてみたい


          ちょっと高いフライ
          雲に溶けてボールが消えた
          今日 はじめて見た
          あなたがまぶしい草野球



        




     「未来は不知顔(知らん顔)さ、自分で造っていく。」
      多分あなたはそう云うと判っているのに
      ほんのちょっとざわめいた朝に声を無くすの

      私はあなたの強く光る眼(まなこ)思い出すけれど
      もしも逢えたとして喜べないよ
      か弱い今日の私では
      これでは未だ厭(いや)だ

     「答えは無限大さ、自分で造っていく。」
      枯れ行く葉が相変わらず地面を護っている
      そんな大地蹴って歩いては声を探すの

      私はあなたの孤独に立つ意志を思い出す度に
      泪(なみだ)を湛(こら)えて震えているよ
      拙い今日の私でも

      明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ
      もしも逢えたときは誇れる様に
      テレビのなかのあなた
      私のスーパースター







     
2012.07.25 / Top↑
石の上にも三年寝太郎。桃栗三年柿八年。ミーハージュークボックスブログも寝ている間に この5月で開設3年を迎え、4度目の夏が来た。日本の首相は当時から数えてなんと5人目。 


ここでは あんな日記こんな日記 に登場し、こんな所でも予言(?)。6人目が誕生するであろう秋口に頭をグルグルするのはどうも この曲 ではなさそうだ


誕生といえば、ナベツネさん方のコボちゃんちでは、先月、連載1万回目にして2人目が生まれた この際、兄妹が何歳違いなのか(実年齢だとコボちゃん三十路)、サナエさん(同五十路。ユーミンあたり)がそれぞれいくつで産んだのかを気にし始めると夜も眠れなくなるので昼寝やめておこう


猛暑の中、小石川植物園では世界最大の コンニャクの花 が開き、立派な姿と、くさやも真っ青の強烈な にほひが話題になっているらしい。匂いといえば、少年ドラマ「タイムトラベラー」で理科準備室で試験管から漂うラベンダーの香りに倒れた少女(島田淳子)に「ジャロ ラベンダーってなんじゃろ」と思ったのは72年初め。当時の首相は佐藤栄作。沖縄が返還される数ヶ月前だった。巷では宇宙から来たケン・ソゴル役(木下清)が人気を博したが、私にはあまりピンと来ず、ラベンダーの香りの方がずっと気になっていた。





      富良野ラベンダー畑   






原作は、最近、分身が期間限定でツツイッターを始めた筒井康隆氏の時をかける少女。約10年後の83年、角川映画でリメイクされ、主演の原田知世ちゃんが初々しく歌うユーミンの主題歌もヒットした。富良野のラベンダー畑 で本物に出会い、ずっとベールに包まれていた香りを吸い込んだのは、更にその2年後だったかな。


以後、何度もアニメやドラマや映画でリリメーク、リリリメークされ、今は何度目なんだかさっぱりわからない21世紀バージョンでは、初代ラベンダー少女(芳山和子)は、おとなしめから元気はつらつタイプにキャラ変えした主人公の叔母や母役で登場している模様。最新作の主役は知世ちゃんと同じ長崎ケンミン 仲 里依紗(なか りいさ)ちゃん。父はスウェーデン系ハーフのイケメンさん45歳(若っ)。「仲里」さんと間違われなくなるよう頑張りたいと語る平成元年生まれの有権者だ。


主題歌は毎度お馴染み いきものがかり。時間旅行 はこの三丁目ブログテーマの一つなので、母さん扱いは複雑な心境だが、うちのラベ子も同世代。時の流れにゃ逆らえないので無駄な抵抗はやめ、ここはリメークでなくラベンダー初体験の初代タイムトラベラーに1票を投じたい。いわゆるひとつの刷り込みというわけで。あの番組を知る人には、ショートカットの知世ちゃんに感じたジェネレーションやイメージのギャップをわかっていただけるかもしれない。


ラベンダーは今が見頃。富良野ジモティー情報によると、この夏は北海道も連日高温らしいので、お出かけになる方は熱中症と日焼け防止対策をお忘れなく


ローマ時代から心身を癒し、安眠に誘う植物として愛用されていたという紫色のラベンダー。シルクロードを旅し、今では極東の小さな島国でも市民権を得、芳香剤や入浴剤をはじめ、石けん、枕、扇子、線香、小物、トイレットペーパーなどに守備範囲を広げている。スーパーやドラッグストアでラベンダーの消臭剤ににっこり微笑みかける怪しいおばしゃんを見かけたら、私の分身かも




ベビーシッター【babysitter】赤ん坊を叱咤する人。

ゴーイング・マイ・ウェイ【going my way】誰も後からついて来ないこと。
(筒井康隆「現代語裏辞典」)

なるほど。ツツイッターか。 (同上)

今後も気が向けばご本人がつぶやくそうなので、筒井ファンの皆様はお楽しみに



  1972   1983母   1983娘   2006   2010  おまけ





  
 
2010.07.28 / Top↑
緑鮮やかな季節となりました。北海道では桜が咲き始めたようですね
こちらはつつじが満開です。ニュースでは、この大型連休中の、空港や駅や高速道路 の混み具合を教えてくれます。でも、そんなに休みも取れず、家族のスケジュールも合わず、エンゲル エンジェル係数も高い、と、三拍子揃った(?)我が家は、ここ数年、ひきこもり気味。出ても近場だし、人混みはできるだけ避けたいので、せっかくの情報も、あまり参考にはなりません。むしろ、休日出勤のアナウンサーに、「お疲れ様です。」と声をかけたくなります。ご近所は田植えだべ


週休二日制が定着した所が多いせいか、最近は、飛び石連休鈞ドン 半ドン という言葉をあまり聞かなくなりましたが、まだ使われているのかな?


高速道路で思い出す曲といえば、ユーミンの 中央フリーウェイ
'76年、荒井 由実 時代の卒業アルバムとなった 14番目の月 A面最後を飾る曲です。道路交通情報では 中央道 と呼ばれるハイウェイ。都心から40km離れたユーミンの実家に帰る道すがらの実況中継ソング、と言ったら変かな?


私は、今では学生の街となった 八王子 や、多摩美術大学 などの固有名詞をユーミンで覚えました。上京後、高尾山に行く途中、八王子を通り、東京とは言っても、かなり遠いことを実感しました。中学時代から六本木の会員制レストランに入り浸っていたユーミン。洗練された、都会の大人の世界を、頬杖をついて眺めていたせいか、精神的に早熟だったようですが、帰りは、めちゃ混みの中央線に揺られていたのでしょうか


中央自動車道 という、味も素っ気もない響きも、中央フリーウェイ と言い換えると、あら、不思議。おしゃれなユーミンワールドぞなもし 英語だとChuo Expresswayというそうですが、フリーウェイは無料の高速道路ってことだから、ニュアンスはちょっと違うかも


ユーミンの実家は大きな呉服屋さん。季節感を大事にする、和の世界で育ち、
美大で日本画を専攻し、染色を学んだそうです。四季の移ろいと心象風景を重ね合わせた感性溢れる表現は、まさに職人技。明け方や夕暮れの光の織りなすグラデーションや、湿度や空気を歌った詞は、絵心に溢れています。


映画のワンシーンのようなこの曲からは、スピード感や流れる風景、空の色の変化や風が伝わってきます。でも、高速で片手運転は危ないぞなもし。
良い子は真似しないでね
カーマニアの旦那さんは、自動車番組 の司会や、日本カーオブザイヤー の選考委員をしているようですが、ユーミンは、運転免許を持ってないそうです。


  


       ドライブ     






  中央フリーウェイ 右に見える競馬場  左はビール工場

  この道は まるで滑走路 夜空に続く
 



いきなりバスガイドのような名所案内に、初めて聴いた時は「え?」と思いましたが、そう歌われると確認したくなるのが、ミーハー魂というもの。
中央道に乗った折、現場で右向いて左向いて指差し確認をしながら歌ったことのあるご同輩、かなりいらっしゃるのではないでしょうか

でも、ビール片手に競馬新聞を読む、耳に赤鉛筆おじさんの絵が浮かんでこないのは、やっぱりユーミンブランドだから?
夜、まっすぐな暗い道を走っていると、この曲が頭をグルグルします。夜空に続く滑走路、なんだか飛べそうな気がしませんか?


さてもう一曲、毎年五月になると聞きたくなる、大好きな歌をご紹介します。'79年のアルバム 悲しいほどお天気 より、緑の町に舞い降りて


花巻空港への着陸態勢に入った機内から見下ろす風景に感動したユーミンが、一気に書き上げたという曲です 東北新幹線の延長に伴い、廃止された路線です。運航会社は地方路線を担当していた 東亜国内航空。やがて日本エアシステムと名前を変え、当時、国内では幹線のみを担当していた JAL に吸収されました。


敬愛する宮沢賢治の出身地ということで、ユーミンは昔から花巻や岩手に親近感を持っており、ご当地 盛岡のコンサートでは定番の曲だそうです。宇宙や星をテーマにした歌が多いのも、賢治の影響でしょう。


  銀河の童話を読みかけて まどろみ 心は はばたく


先月、いわて花巻空港 がリニューアルした際、この曲が空港のイメージソングに選ばれ、歌詞のレリーフ除幕式に、ユーミンが訪れたそうです。盛岡でこの曲、聴いてみたいです。行ったことないけど。


  輝く五月の草原を さざなみ はるか 渡ってゆく

  飛行機の影と 雲の影 山すそ かけおりる

  着陸間近のイヤホーンが お天気知らせる ささやき

  MORIOKA という その響きが ロシア語みたいだった




「盛岡」がロシア語(当時はソ連)に似ているかは、天国の米原万里さんに聞かなければわからないけど、思わず旅に出たくなる、そんな曲です
では、皆さんは、この連休、どちらで過ごされますか?До свидания!



 昨日、嬉しいニュースと悲しいニュースがありましたので、ジュークボックスに追加いたします。大泉 洋 ちゃん、ご結婚おめでとう


一昨年の12月8日 ジョン・レノン・スーパーライヴ で、私にとっては一期一会となってしまった 忌野 清志郎 さんの訃報に、とてもショックを受けています。初めて彼の音楽に出会ったのは'72年、RCサクセションの この曲 でした。35年後のあの日、日本武道館で、病み上がりの元気な第一声を聴けたことは幸せでした。
58歳だなんて、あまりにも早すぎます。


追悼日記は苦手なので、当時の記事の一部をご紹介します。
とてもまっすぐで、反逆精神と人間愛に溢れた、永遠のロック少年。
改めて、ジョンっぽいな、と思います。


  Q: ライヴの抱負・意気込みを聞かせてください。

  A: 僕にとって再生、復活の第一歩です。

  Q: あなたの夢は?

  A: 世界平和。Love&Peace。愛と平和。

  Q: 世界の子供達にメッセージを

  A: 夢を信じて生きてゆこう。信じることも才能だよっ!


清志郎さん、長い間お疲れ様でした。たくさんの愛をありがとう。
あっちのみんなと楽しくやってくれよ、ベイビー。
愛してまぁぁ~~~す。合掌 




    中央道  バイパス  高速道路  マイカー  MORIOKA


  おめでとう  ありがとう  追 悼   覚え書き1 覚え書き2





   
2010.05.06 / Top↑
毎日寒い日が続いていますが、いかがお過ごしですか?
雪国出身の友人が上京して一番驚いたのは、この季節に布団や洗濯物が外に干せることだと言っていました


たしかに、空は晴れ上がっている日が多いし、寒いと言っても、連日の最高気温がマイナスという地方から見れば、ふっ、ちょろいもんだぜってな感じなんでしょうね。
さて今日は、いつもこの季節に、頭の中でほぼエンドレス状態となる曲、ユーミン春よ、来いです




    
      
  




透明感のある美しい歌詞や、哀愁を帯びたピアノの音色からは、
荒井由実時代に通じるものを感じます。この曲は、'94年秋から'95年春にかけて、NHKの朝ドラの主題歌でした。あまり面白いとも思えなかったけど、娘の通園のため、時計代わりになんとな~く見てました。(そのうち、やめてしまった・・・


1/17の記事ともリンクしますが、私はちょうど妊産婦の頃でした。このドラマが終わった直後のニュースで、被災地の映像が流れていたので、あの時代を思い出す曲でもあります。



最近は朝ドラにはとんとご無沙汰ですが、里帰りすると、家族が一日に二度も見ています。そういえば、民放が少なかったこともあり、子供の頃からずっと朝はNHKでした。長年の習慣なのか、年輩層はチャンネルロックの方が多いように感じます。私はどうもテンポが合わないので、朝は民放をザッピングしていますが、皆さんはいかがですか?



   
歌 詞    春よ来い    雪月花    水の影





           


          
2009.03.16 / Top↑