暦の上では夏になり、日中は暑い日が増えました。今日は、やっと200回目の更新です。数字にちなんだ曲でも、と思ったものの、何も浮かばなかったので、5月つながりということで、この方に登場して頂きましょう。
Queenのギタリスト Brian May さん。昭和22年生まれで、今は「アラ還」と呼ばれる団塊の世代。今年62歳です。同じ年生まれの皆さんは こちら


名字はMay さんだけど、お誕生日はJuly。ブライアンの曲で一番有名なのは We Will Rock You ですが、その守備範囲は広く、ギンギンのロックから、アコースティックな弾き語り、ライブでお馴染みの美しいバラードなど、たくさんの曲を手がけています。穏やかでシャイな印象ですが、根っこには熱いロック魂


昨日は母の日だったので、華麗なるレース から、A面第一曲目のTie Your Mother Down、行っちゃいましょう。親孝行ソングどころか、やんちゃ息子が、お前の父ちゃん、ウザいから閉め出せだの、お前の母ちゃん でべそ 縛り上げろだのと、物騒なことをぬかす歌です。
いくらノリノリなロックンロールだからといって、母の日に愛を込めてこの曲をプレゼントするのはやめませう


もう一曲は、会場を巻き込んで歌う定番ソング。私も、フレディと2回、ブライアンと1回、トゥギャザーしました ライブで本物のアーティストに会えるだけでも心ウキウキなのに、聞き慣れた曲の数々が目の前で繰り広げられ、会場で一緒に歌う楽しさは、一度経験するとやめられまへん


一期一会の空気のうねりや、観客の人数分ある人生の、わずか2~3時間を共有し、一緒に歌う瞬間は、二度と来ないんだなぁ…と思うと、たとえ1万分の1であっても、歌に気持ちが入ります。生フレディにはもう会えないけど、またいつかブライアンやロジャーが来日すれば、ステージに遊びに来てくれることでしょう。


この Love of My Life や、日本語のフレーズがある「Teo Toriatte(手をとりあって)」は、フレディのピアノ弾き語りや美メロが印象的です。彼の歌だと思われがちですが、実はこっそりピアノも弾けるブライアンの作品。今回は、彼のもう一つの顔にスポットライトを当ててみましょう。



                        

       ブライアン・メイ学長    
 
     華麗なるレース           学  長            著 書





ブライアン・ハロルド・メイ博士は、ロンドンの国立大学卒業後、大学院で宇宙工学を専攻しました。バンドの成功で、長い間、研究活動から離れていたものの、宇宙への思いが消えることはなかったようです。世界ツアー中も学術誌を読み、天体観測をし、難解な数式を解いていたのでしょうか。30年にわたるブランクを経て、一昨年、完成させた学位論文が認められ、天体物理学博士号を取得したそうです。
天文学の世界では、50年や100年は誤差の範囲内なのでしょう


彼が執筆した宇宙の解説本(共著)は、本国でも評判が良いらしく、翻訳本も出ています。興味がある方はチェックしてみて下さい。(右の写真をクリックすると、内容が表記されます。)


改めて彼の詞を読むと、歌えるかどうかはともかく、天体がらみの表現や、俯瞰したようなスケールの大きさを感じるものが多いことに気付きます。宇宙好きで真面目でロマンティックなあたりは、英国版 宮沢賢治といったところでしょうか? セロ弾きじゃなくてギター弾きだけど。



'92年に設立された Liverpool John Moores University は、メイ博士を大学の教育理念にマッチする人物として高く評価し、4代目学長に選出しました。その理念とは、夢を持ち、青写真を描き、実現させること。


世界的なロックスターとして第一線で活躍し続けながらも、長年の夢を諦めず、60歳で叶えたメイ博士は、大学の理想像にぴったりだったようです。
昨年4月の就任スピーチぞなもし


このたび学長に選ばれたことを、とても誇りに思います。

私は、教育や生涯学習を、とても大切なことだと考えています。

一生学び続ける姿勢こそが大事なのです。



もう何歳だからとか、

今、人生の何合目にいるからなどということを気にする必要は全くありません。

学問を始めるのに、幾つだから遅すぎるということはないのです。

現に、30年がかりで学位を得た私が、ここにいるのですから。



学長として、私の今までの経験が、何らかの形で皆さんのお役に立つことを、

心から願っております。




ありがとう、 メイ先生。Killer Queen からのファンでした。あなたの存在はとても大きく、実力者で努力家で謙虚なところが大好きです。60歳を過ぎて新天地を見つける人も、世の中にはたくさんいます。まだまだ時間はあるのだから、夢を諦めるのはMOTTAINAIですね。



五月生まれといえば、41歳にして、脇役人生から舞台の主役にchangeした、
森 光子さん。
42000人のおくりびとを集めた清志郎さん最後のロックンロールパーティがあった
5月9日、放浪記 の上演回数が2000回に達したそうです。奇しくも89歳の誕生日、カーテンコールのステージで、スタンディングオベーションを受け、ケーキでお祝いする様子をニュースで見ました。初演は'61年、オバマ大統領が生まれた年で、実に48年がかりで達成した、前人未踏の記録だそうです。ちなみに、1000回目は、'90年。70歳の時だとか。



お客様は毎回違うので、いつも新鮮な気持ちで臨んでいる。足を運んで下さる方々やスタッフあっての記録なので、皆様に感謝したい。今までに一度として会心の出来はなく、毎回、試行錯誤している。もっと表現力豊かな演技ができるようになりたい。


年齢を味方に付ける森さん。時間ですよ のおかみさん時代はアラフィーだったのかな。一体、何回目あたりだったのでしょう。


   国民栄誉賞 おめでとうございます 






  お邪魔?  トモダチ   '39   ここにいるよ  おまけ



   Mother    五月姉妹  五月 メイ  おまけ



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2009.05.31 / Top↑
侍ジャパン WBC 連覇おめでとうございます
ハラハラしながら見ていた昨日の試合では、内川選手のファインプレーに拍手、イチローのタイムリーに、息子とがっちり握手しました。最後の打者を三振に打ち取ったヤンパパ、 ダルビッシュ 選手(22歳)は、優勝した昨日が、息子さんの初めての誕生日だったそうです


196cmの長身イケメン、しかもハーフとあって、高校球児の頃から、超目立ってたダル君。昨日ユニフォームの背中を見ていたら気が付きました
なんと、名字の真ん中に、勝利の V が あるびっしゅ。 D A R V I S H
見かけはクールでも、なにげに大阪弁。だる ぃ~っしゅやで。 奥様は宮崎弁。


MVPの 松坂 選手も、好投したキューバ戦の16日が息子さんの誕生日だったとか。パパでも金 ぞなもし


前々から思ってたのですが、イチロー選手や岩村選手って、お侍さん顔ですね。
ビールかけのアメリカ版・シャンペンファイトの前口上で、
お前さん達は、まっこと強い侍になったぜよ と祝福した、エイトマン若大将出身の原監督も、時代劇が似合いそう
「侍ジャパン」という言葉を受け、エアーちょんまげ付きで観戦していた私です



 侍ジャパン WBC 2連覇



優勝のシャンペンかけを見ていて、ふっと浮かんだ曲は、'74年、 Queen に目覚めるきっかけとなった Killer Queen です。ラジオから流れてきた指パッチンの前奏に、華麗な曲展開、見事なコーラス。背筋にビビビと電気が走りました 何度聞いてもゾクゾクするので、レコード屋に走りました


初めて買ったクイーンのアルバムは、 Sheer Heart Attack それまで2枚の渋いアルバムをリリースしていたものの、当時はいまいち知名度が低かったイギリスのインテリ4人組は、このKiller Queenでブレイクしました。世界的に人気が出る一足先に目を付けたのが、日本のミーハー 女子達。あたしも? ビデオの普及してなかった時代、ジャケットで初めてご対面した、少女漫画風なビジュアルの3人に目はハート、フレディのお顔に、軽いショックを受けました




                          





深夜放送にどっぷり漬かっていた当時、ソロになったビートルズやカーペンターズやエルトン・ジョンなどの新曲は、よく耳コピで一緒に歌ってました。でも、初めてお耳にかかったクイーンのこの曲は、出だしで、いきなり 「ん?」
空耳アワー的には 萌え~ シャン丼(Moet et Chandon) が意味不明
歌詞カードを見ながら辞書を引いたら、どうやら、シャンペンの名前でフランス語らしいとわかったのですが、父に聞いても「知らんぞなもし


マリー・アントワネットの迷言だといわれる「(パンがないなら)ケーキを食べればぁ~(クレヨンしんちゃん風)」まで引用されているので、ベルばらの世界か?と妄想しました。実は、エモやんベンチがアホやから 発言同様、マリーちゃんには濡れ衣だったという噂だけど。ちなみに、この曲は高級コールガールの歌だとか。鈞ドンはわかるけど、萌え~シャン丼は ようわからん小市民ぞなもし



今やスタンダードとなった We Are The Champions は、「オペラ座の夜」「華麗なるレース」に続き、'77年に発表された News of the World に収録。
この曲は、A面1曲目「We Will Rock You」からのメドレーです。Queenのライブでは2曲続けて歌われるのがお約束でした。
オーディエンスも一緒に歌い、会場が揺れる曲です。このアルバムもお薦め


朗々と歌い上げるフレディは、自分にとっての「マイウェイ」にするつもりだったと言っていたそうです。「昴(すばる)」の谷村さんはまだアリス時代 


この歌をスタジオで初めて披露した時は、ほとんど色物扱いで、メンバーは、サッカー場で観客が雄叫びのようにこの曲を歌うシーンを思い浮かべ、ヒーヒー笑い転げたそうです。(「島唄」みたいなイメージ?)当のフレディも、ファンが会場で参加できる歌を目指していたというから、結果的には大成功ですね。
21世紀に歌い継がれる名曲を残してくれた、天国のチャンピオンに感謝します あんたが大将(You Are The Champioん?)



WBCの映像、さっそくアップされてたので、ジュークボックスにいくつかリンクします。すぐ削除されるかもしれないので、湯気の出ているうちにお楽しみ下さい


私は、試合中、怪我で一足先に帰国し、勝利の美酒にありつけなかった、横浜の主砲 村田修一 パパが気になります。記念写真では、後輩・内川選手のはからいで、背番号25のユニフォームが、堂々と収まっています


全治2ヶ月とのことで、シーズン開幕には間に合わないけど、現役のプロ野球選手にとって、この時期、家で長期間、ゆっくり子供と遊ぶ余裕はありません。主砲としてずっと頑張ってきたから、少し戦線を離れて充電するようにいうメッセージなのかも


半端じゃないプレッシャーの中、最後まで全力を尽くした侍ジャパンの面々、そして同世代の原監督に、ありがとうの拍手を送ります


追記:「We Will Rock You」からのメドレーは、こちらの日記 でどうぞ。
 


       
    チャンピオン  シャンペン   六級   女王様物語 


  おめでとう   神様仏様一朗様  お疲れ様  ありがとう  おまけ


 
 
2009.05.31 / Top↑
昨日梅雨空だと思ったら、一夜明けた今日はいい天気です。さて、何の曲にしようかな、と、頭の中にある年代物のデータベースをいろいろ検索していたら、懐かしの曲が検出されました。まあ、早い話が、ふと思い出したってことです


私は、小学生の頃からコーラス部で、学生時代はずっと歌っていました。卒業後はもっぱらカラオケでしたが、子育ても一段落したので、友人が主催するコーラスサークルで、歌を再開しました


音楽教師の友人は、きれいなソプラノで、オペラ歌手並みの発声なのですが、採点付きのカラオケだと、いつも低い点数しか出ないので、カラオケは嫌いだそうです。クラシックの発声法では、声が頭の上に抜けるので、マイクが音を拾いにくいのか、点数に結びつかないようですね


私は、子供が小さい頃に買った、自動採点付き童謡カラオケで、点数が出る歌い方を研究しました。コツは、マイクに声を集めることを意識して、まっすぐな声で、リズムを崩さずはっきり歌うこと。上手に歌う、というよりは、楽譜通り、一音一音はっきりと歌うという感じです。


曲選びもポイントかもしれませんね。今のところ、一番のお薦めは「涙そうそう」です。
詩歌の素晴らしさはもちろんですが、誰にでも歌いやすいし、点数が出やすいですよ。キーが合わない時は、♯や♭ボタンを使って、自分の歌いやすい高さに調整してみて下さいね


気持ちをこめすぎたり、あまりこぶしをきかせたりはしない方がいいみたいですよ。でも、私は歌そのものを楽しみたいし、時間が惜しいので、最近は採点機能は使っていません。というか、ここ数ヶ月はカラオケに行ってないぞ・・・


今日は、NHK全国学校音楽コンクール・小学校の部の課題曲で歌った曲をご紹介します。
毎年8月の地区予選に向け、6月頃から練習が始まります。夏休みの朝、毎日小学校に通って歌っていた、この曲は、今でもコーラス曲のスタンダードとして歌い継がれています。



作詞は、加山雄三さんの作品でお馴染みの、岩谷時子さんです。数年前、長島さんの出演するCMで流れていたので、メロディを聞けばわかる方もいらっしゃるかもしれませんね。



                    懐かすぃ~



  
2009.05.20 / Top↑
新学期に配られる教科書をパラパラめくるのが楽しみだった私。
ここ十数年は、子供の持ち帰った教科書に、「時代やのぉ~」だの、「へぇ~」だの「ほぉ~」だの言ってます。>へいへいほぉ~ ぢゃないよ


今年驚いたのは、中3国語(東京書籍)。
目次の次に、いきなり見開きで、中島みゆき さんの歌詞が、バーン!


タイトルは、永久欠バーン 永久欠番。 
背景のイラストは、空のように淡いブルー。砂漠の上に横たわる、ベージュ色をしたサザエ状の大きな巻き貝。ベンチのように伸びた細長い部分に腰掛け、空を眺める、後ろ姿の青い服。右下に作者の顔写真(モノクロ)とプロフィール。


中島みゆき 1952(昭和27)年、北海道出身。シンガーソングライター、小説家。
著書に「海嘯」「2/2」などがある。出典・アルバム「歌でしか言えない」



この曲は知りませんでしたが、息子によると、自分なりの解釈をプリントに書き、一人ずつ発表した模様です。多感な時期、みゆきさんが丁寧に紡いだ深い歌詞と向き合った中学生たちは、この曲を耳にするたび、教室の窓から見える景色や、クラスメートの姿を懐かしく思い出すことでしょう。それは、いくつもの山や谷を越えたあとかもしれないけれど。


久石 譲 さんの言葉を借りると、音楽は記憶のスイッチ だとか。 たしかに、
たった1~2小節で、あっという間にタイムスリップし、思い出の場面や懐かしい顔が蘇ることは、よくありますね。特に、子供時代や若い頃聞いた音楽って、
今も自分を支えてくれているなぁ…としみじみ感じる今日この頃です。


私の場合は、テレビの歌番組や、ラジオの深夜放送から流れていた、'70年代の音楽が、心の真ん中にあります。2年前の今日、たまたま始めたブログで、懐かしい曲や思い出話をつらつら綴ってきました。会ったことのないブログ仲間と、まるで昔からの友達のように、歌い手や曲に寄せる思いやエピソードを語り合うなんて、なんだか不思議ですね。1つの歌にも、人の数だけ思い出があるのはすごいことだな、と、いつも思っています。


みゆきさんの歌を初めて聴いたのもラジオでした。デビュー曲アザミ嬢のララバイ のもの悲しさや、世界歌謡祭グランプリ曲で二枚目のシングルとなった 時代 の、スケールの大きさに感動しました。


明星で見た受賞写真は、ロングヘアーにベルボトムジーンズの、色白で綺麗なお姉さん。MTVもビデオもない時代、耳から入った歌手の写真に後からお目にかかり、失礼ながら、びっくりする事も多かったので、美形のみゆきさんは、ちょっと意外でした。北海道出身で、本名は 美雪 さんとあり、名は体を表しているな、と感心したものです。


谷村新司さんのセイヤング「チャーミングなお客様いらっしゃいコーナー」のゲストで、初めて、みゆきさんの、元気はつらつなおしゃべりを聞き、「別人?」と思ったのは、もう30年以上前のお話。オールナイトニッポンのDJを始めた頃、私は深夜放送を卒業しかけていましたが、弟は、夜中に聞くだけでは物足りないのか、テープに録ってはゲラゲラ笑っていました。


現在は、テレビCM で、大きな犬にどたどたと引きずられる白無垢の花嫁姿を披露しています。何度目かのウエディングドレス姿の聖子ちゃんに、
「(お互い)照れますなぁ~」と、ひょうきんな笑顔を向けています。
BGMは時代。花婿さんがどんな人かはわかりません。
ソフトバンクのお父さん じゃないけど、まさか、あの大型犬?




            富良野ラベンダー畑 



    
二年前の春、百歳で亡くなった祖母の葬儀で、長い間会ってなかった親戚や、懐かしい人達と再会しました。それぞれに年を重ねたものの、昔の面影は残っており、祖母が元気だった頃の気持ちに戻りました。


90過ぎまで新聞を読み、ニュースやスポーツ番組を楽しんでいた祖母は、93歳の頃、家で転倒し、病院のベッドで寝たきりとなりました。入院以降、徐々に認知症が進んでいることを母から聞いてはいましたが、半年ぶりに再会した時のショックは忘れられません。


高校まで同居していた私の顔がわからず、目は合っても、記憶の引き出しはぴったり閉じたままでした。いつも背筋をぴんと伸ばしていた、気丈で洞察力のある祖母の姿はどこにも見受けられず、私は部屋の隅で涙しました。


天寿を全うしたこともあり、告別式の後は、思い出話に花が咲きました。
笑顔溢れる祖母の遺影用の写真は、80歳の時に自分で用意し、父に預けてあったそうです。


筆まめで、上京後はよく手紙をくれました。旧仮名遣いの上、まるで古文書のような草書体だったので、残念ながら半分ぐらいしか判読できませんでしたが、「たぶん励ましてくれてるんだろうな」と、想像力で補っていました。離れて住む従姉妹達も、皆、同じ経験をしてきたことがわかり、笑いました。


祖母が80代半ばの頃、「自分史」がブームになり、帰省した私は、ふと思い立って、書いてもらうことにしました。書き始めると、あれもこれもと浮かんで来るので、筆が止まらなくなったと言っていました。たしか数日で仕上がったように記憶しています。


厚い便箋1冊分を謎解きのように読み進め、ワープロ原稿をプリントアウトし、次の里帰りの折り、祖母に読んでもらいました。何ヶ所かダメ出しがあり、帰宅後、更に上書き。


検閲済みの自伝を、長子である伯母に見せると、「あれ、私の誕生日、間違うとる 1歳年上に書かれていたらしく、苦笑いしていました。この調子だと、あちこちに記憶違いがあるのかもしれませんが、大正時代の我が家を語れる人は、もういなくなってしまいました。一人一人に物語があることを、私は祖母に学んだような気がします。


四十九日に出るため、一昨年のGWに、私は単身帰省しました。
帰りの機内のオーディオ番組で、竹内まりやさんの新譜「DENIM」の曲が流れ、ご本人とDJの女性がおしゃべりしていました。


味わい深い歌詞に、しみじみと心に沁みる曲ばかり。永久欠番となった祖母との思い出を反芻していた私には、まさにストライクゾーンど真ん中でした。春先にNHKの「SONGS」で初披露された、人生の扉 に感動し、偶然空の上で聴けたことに、何かのご縁を感じました。


その数日後の5月16日、楽天のサイトをのぞいているうち、間違って「ブログを始める」のボタンを押し、生まれたのがこの日記 です。


追悼記事を書かずにいられないのは、たぶん、いつも祈っていた祖母が、心の中にいるからでしょう。この2年間、辛い別れや、いろいろな悩みもありましたが、なんとかここまで続けて来られたことを嬉しく思っております。


いつも温かいコメントを下さるブログ仲間の皆さま、あしあとを残して下さる皆さま、お立ち寄り頂き、ありがとうございます。これからもマイペースで、好きな歌を歌い続けていけたらと思っています。ブログの更新やPCをお休みされている仲間とも、またいつかおしゃべりを再会できることを願っています。


音楽はタイムマシーン。こんなミーハーブログですが、お好きな曲が見つかったら、どうぞ、あの頃へタイムスリップしてくださいね。最後まで長文にお付き合い頂き、だんだん。これからもどうぞよろしくお願いいたします

 

      どんな立場の人であろうと

       いつかはこの世におさらばをする

       たしかに順序にルールはあるけど

       ルールには必ず反則もある

       街は回ってゆく 人一人消えた日も

       何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと


   
       百年前も百年後も

       私がいないことでは同じ
 
       同じことなのに

       生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい

       街は回ってゆく 人一人消えた日も

       何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

       かけがえのないものなどいないと風は吹く



       どんな記念碑(メモリアル)も雨風にけずられて崩れ

       人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう

       だれか思い出すだろうか

       ここに生きてた私を




       百億の人々が
      
       忘れても 見捨てても

       宇宙(そら)の掌の中

       人は永久欠番

       宇宙の掌の中

       人は 永久欠番 (詞:中島みゆき)





   

   永久欠番   時 代   蕎麦屋   ファイト   ホームにて

2009.05.17 / Top↑
毎日、暑いですね~
皆さん、夏バテしていませんか


今日は、元気が出るバンド、モンキーズを紹介します
ビートルズがアメリカに進出し、大成功を収めた'64年、アメリカ版ビートルズを狙って結成された4人組です


LAでのオーディションで選ばれたメンバーは、日本で一番人気だった、小柄でプリティフェイスのデイビー・ジョーンズ、アメリカで一番人気、子役出身のミッキー・ドレンツ、私の一押しで、渋いマイク・ネスミス、そして、金髪の癒し系、ピーター・トーク。


'66年開始のコメディー番組「ザ・モンキーズ」で、彼等は一躍人気者となりました。
「奥様は魔女」や「ルーシーショー」「ひょっこりひょうたん島」本人が登場する「ディズニー」などが放送されていた頃でした


ビートルズだと「Revolver」「Sgt.Pepper」「Magical Mystery Tour」「Yellow Submarine」「The Beatles(ホワイトアルバム)」の時期です

長い下積み時代に、ドイツへの遠征ライブや、地元のクラブで叩き上げてきたビートルズとの相違点は、曲作りをプロに任せていたことと、あっという間にスターダムに上がったため、忙しすぎて、バンドとしての練習時間が取れなかったところでしょう


'68年には日本武道館で公演を行っています。
その後ピーターに続き、マイクが脱退した'70年にグループは解散しましたが、結成20周年にあたる'86年に再結成し、リバイバルに成功しました


日本では'80年代に「ザ・モンキーズ」が再放送され、新しい世代からも支持を得ました。


私はリアルタイム当時、民放が1局で「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度笠」くらいしか映らない、地味~な地方に住んでいたので、彼等のことは「りぼん」や「マーガレット」のグラビアで見るだけでした


再放送でやっとご対面し、ベスト盤のLPで、往年のヒット曲を楽しみましたが、やっぱり絶頂期に見たかったなあ・・・


現在は全国的にテレビ局も増え、CATVも普及したので、番組の選択肢も広がり、さまざまなジャンルのプログラムを楽しめますが、'60~'80年代あたりまでは、地方と都会の文化格差は歴然としていました


進学で上京後は学生寮にいたので、全国から来た友人達と、ふるさとのテレビチャンネル数の少なさで田舎度を競ったのも、今は懐かしい思い出です
たしか、NHKしか映らないという、離島出身の人もいましたよ


モンキーズは、'89年までの活動期間に、アルバムとシングルを数枚リリース、英語圏を中心にライブ活動を行い、再来日を果たしています


童顔のデイビーも62歳になりました。ポールと同い年のマイクは、すっかり風貌が変わってしまいましたが、また元気な姿を見たいものです



     歌 詞      4人もアイドル      モンキーズのテーマ

     ヤアヤアヤア!!     再 び 登 場




     
2009.05.17 / Top↑