今日はジョンとショーンのダブル誕生日。辰年で天秤座生まれのジョンは生誕70周年(古希)酉年のヨーコ(77歳 水瓶座)は喜寿のめでたい年回りだ。(※満年齢)異母兄のジュリアン(47歳 牡羊座)と今日で35歳のショーンはちょうど一回り違いの卯年。来年は年男。成田山新勝寺あたりで豆まきしてくれないかしらん。同じ日生まれ の皆さん、ご近所の皆さん、お誕生日おめでとうございます


     心を開いて「イエス」って言ってごらん 

     すべてを肯定してみると 答えがみつかるもんだよ(Mind Games)




9月30日はジョンレノンミュージアム(JLM)の閉館日だった。開館日はジョンがエアー還暦を迎えた10年前の今日。当時子育て中だった私が初めて訪れたのは、半Queen(Brian&Roger)+Paul Rogersのライヴに行った2005年10月だった。ダコタ仲間のMちゃんと一緒で、ライヴ前にミュージアムをと、併設カフェで待ち合わせ。ジョンにちなんでフィッシュ&チップスにロイヤルミルクティーとしゃれこいたが、久々の再会で話に花が咲き、気が付けばライヴの時間が近づいてきたではないか。ガチョ~ンゆっくり観る時間はない。「また今度」と、魅力的な売店を一通り覗いた後、アリーナへと向かった。


2回目はいつだったか思い出せないが、おそらく翌年あたり。どのコーナーでもウルウルし、目が腫れてしまった。ジョン・レノンという一人の人間に寄り添い、彼の歩みを追体験する見事な構成。常設展の他、期間限定の企画展が催されており、じっくり味わえば3時間はかかった。せっかくなので、この機会に記憶の中のJLMをおさらいしてみることにしよう。


さいたま新都心駅の改札を抜け、左に進めばスーパーアリーナ、その手前右手のビル4・5階がミュージアムだった。入口(3階)正面ではジョンの特大写真がお出迎え。床にはNYセントラルパークの「Strawberry Fields」を再現した「Imagine」の模様。ジョンの命日、献花したこともある。


左の壁一面にジョンの白黒写真コラージュパネル。教壇のような一角でイベントステージにもなった。右側にミュージアムのロゴとリバプールの写真。エスカレーターを昇れば4階フロント。


チケット売場の左横にジョンとヨーコの等身大パネルと売店、右手にミニシアター、カフェ(06年4月以降、資料満載のAVラウンジに)。入場後ミニシアターに進み、ショートフィルム鑑賞。


平日に行くことが多かったせいか、館内はいつも空いていたが、最終日は満席(60席)で感無量。ジョンの40年を約7分でなぞる。エンディングに流れるジョンの声は「I still believe in love, peace, positive-thinking.」終了後、左の扉からリバプールゾーンへ。右の扉からは、外でスタンバっていた皆さんがゾロゾロと入場。





    ジョンレノンミュージアム        ジョン・レノンの生家




ZONE1 少年の記憶(1940-55) リバプールの地図、両親や子供時代の写真、ノート、成績表、イラスト(絵の一枚は「心の壁、愛の橋」のジャケットに)、手作り新聞、手書きの「Julia」、母Juliaのバンジョー


2 ロックンロール(1955-62) プレスリーのレコード、初めて手に入れた通販のギター、リッケンバッカー、革ジャン、キャバーンクラブ関連資料、音楽新聞「マージービート」


3 The Beatles(1962-67) デビューアルバム、サイン入りファンクラブ会報誌、公演プログラム、チケット、手書きの「Help」「In my life」、来日公演&SGT Pepperの衣装、アビーロードスタジオの録音機材、Mr.Kiteのポスター&歌詞、エピフォンカジノ、眼鏡。「愛こそはすべて」の世界中継ビデオ。エスカレーターで5階へ。




      

                    来日公演



4 ジョンとヨーコの出会い(1966) ヨーコ子供時代の写真と年表、インディカギャラリーの個展再現(天井の「YES」など)、電話


5 Love&Peace(1968-70) ノート、愛用のイラスト入りギター(ギブソンJ-160E)、米盤LP「Hey Jude」ジャケットで着用したベルト(「ウエスト細っ!」byずんどこラベ太郎)


6 Imagine(1970-71) 映画に出た特大チェス盤、LP、ゴールドディスク、「Imagine」歌詞(ホテルのメモ用紙)


7 New York CIty(1971-72) パスポート、グリーンカード、ミドルネーム改名申請書、NYCの袖無しTシャツ、ライヴで着用したジャケット、ギブソンレスポールJr


8 失われた週末(1973-75) ヌートピア大使館スタンプ、眼鏡、手形、ペンダント


9 House Husband(1975-80) ライター、ミッキーマウスの腕時計、シガレットケース、ベル、日本語表記のクレジットカード、白いピアノ、掛時計、「Love」「Woman」「Starting Over」「Watching the Wheels」の歌詞原稿、日本語自習用イラスト、軽井沢で着用の服、帽子、書道セット、キセル、干支(龍)の彫刻入り特注ギター


Final Room  ジョンが紡いできた言葉が原文と日本語で中央部のついたて両面に並ぶ白い部屋。壁沿いの椅子に腰掛け、流れる音楽に身を委ねる。シンプルだが奥の深いジョンの世界はハートで感じればよい。最終日はメモを取る人多数。私にとっては初めての光景だった。彼等の胸に響いたジョンの言葉は何だったのだろう。


どのゾーンにもその時々の曲や映像が流れ、時代の風をまとったジョンがいる。一緒に口ずさむ人も多い。国や時代は違っても、皆、音楽のタイムマシーンに乗り、少年少女時代にget backしているのだろう。記憶の引き出しを開け、懐かしい場所で思い出の誰かさんや昔の仲間にエアーで語りかけているのかもしれない。たくさんの表情に「In my life」の歌詞が浮かび、熱いものがこみあげてきた。       


鑑賞の仕方で思い入れの度合いがなんとなくわかるのも面白い。来館者は必ずしもファンとは限らない。ショーケースを食い入るように見つめたり、熱心に解説したり思い出を語る人の傍らで醒めた表情のお連れ様。初期ビートルズからリアルタイムと思われる先輩世代の会話につい耳ダンボ。
 

心安らぎ、「見えんけどおる」ジョンのロック魂や愛と癒し、ヨーコの心遣いが感じられる温かな空間にありがとう。


JLMへは通算で7~8回行った。娘とは聖子ちゃんコンサート の前に、息子とは先月(9・11)駆け込みセーフ。何度誘っても「興味がない」と「NO」の一点張りだった彼は中3にしてビートルズにはまった。中2病の母が長年買い集めてきた本やビデオ、CD、DVD、You Tubeで熱心に自主学習。勉強もこうだったら頭痛の種は減るのに やっと「YES」になった頃にはスケジュール調整が難しくなり、1度行くのがやっとだった。予習はバッチリ、じっくり堪能した様子。「あと何度か行きたかった」だから言ったのに


昔から興味ナッシングな夫は行かずじまい。最近までビートルズの顔が見分けられなかったことが判明したが、S&G の例もあるので、わかるようになっただけで嬉しい…と日記には書いておこう。


Now here (なぜか埼玉)にいたジョンの思い出達はNowhereへ旅立った。またいつかどこかで会えるといいな。行き場のない孤独感を覚える人(=ジョン自身)を励ます「Nowhereman」は65年発表「Rubber Soul」の中の1曲。3人のコーラスが見事だが、回るマイクが大活躍した(?)日本公演では自分達の音が聞こえにくかったのか、バランスが良くない。サビでいきなり2番を歌うジョンに、バックのジョージは動揺も見せずしっかりカメラ目線


ミュージアム閉館日は朝から雨。前回ラベ太郎と堪能したものの、やはり最後を見届けたく、電車に乗った。同じ時間帯に行った人が数名いたことや池内淳子さんが亡くなったことをツイッターで知った。


ビートルズ赤盤・青盤、ジョンのアルバムがリマスターされ、今月、相次いで発売された。Imagine Peace Towerの点灯は12月8日まで。今日はGOOGLE と You Tubeがジョン仕様。ジョンファミリーやたくさんのビートルズファンのつぶやきでTLは大にぎわいだ。(以下ツイッターよりRT)




私にとって(Lennon BOX の)リマスタリング作業は感情的につらかったです。ジョンが私のとなりにいるように感じてとなりを見ても、そこには誰も座っていない椅子があるだけでした。 私は泣いていましたが、それ以前と変わらず、私の仕事はジョンを聴くことでした。過去30年あまり。なので、私はラッキーガールだと思います。


ジョンの誕生日に100万の平和の願いをイマジン・ピース・タワーへ送りましょう。そして、点灯するタワー をご覧ください。オノ・ヨーコ


Thanks everyone for very thoughtful birthday mentions, to myself and dad as well. Sincerely, Sean


Hoppy Birdy Sean! x Julian



   4ショット  40年  父子  息子2  息子1    元妻  

 
スポンサーサイト
2010.10.14 / Top↑

今日、ひとつ年を重ねた。母親になるまで、誕生日は「誰かに祝って貰うもの」だったが、初めて我が子を産み落とした瞬間、私の考えは変わった。誕生日とは「母が子をこの世に送り出した日」であり、第一子の場合は「初めて母となった記念日」でもあると感じた。いくら子沢山でも一回一回が命がけの重労働。無事に生まれてくれた我が子と、自分を生んでくれた母への感謝の思いがわいてくる。誕生日は「ありがとう」の日だ。


予定日より十日早くこの世にデビューした私は仮死状態だったそうだ臨月のうら若き妊婦は突然の破水で、産院に担ぎ込まれた。(そこは、やがて「おはなはん通り」と呼ばれる町並みの一角にあったのだが、現在は廃業している。)潤滑油として母胎から赤ん坊と一緒に流れ出るはずだった羊水が、一足先に出払ってしまったせいか、3キロほどの物体は全身チアノーゼ状態。ウンともスンとも言わない。


「先生が足を逆さに持って、お尻をパンパン叩いたら、カエルを踏みつぶしたようなしゃがれ声で『フンギャァ~~』と泣いたんよ
物心ついた頃から誕生日のたび母が語ってくれたエピソード。きっと祈りながら産声を待っていたことだろう。時はいつの日にも親切な友達。過ぎてゆく昨日を物語にカエル。死と隣り合わせで生まれてきた私にとって、生きてるだけでラッキーなことだ


早く人間になりたい と言ったのは、妖怪人間ベム、ベラ、ベロだが、幸運にも命拾いした人間の子・ラベ(仮名・名前はまだない)は、同室の新生児から病気をもらったらしく、翌日から脱皮を始めたそうだ。私ゃさなぎじゃったんかい。やっと生まれたと思ったら、全身の皮が剥けてゆく。トホホ、なんというスタート。きっと私は踏みつぶしたカエル声で泣き続けていたのだろう。覚えとらんけど。母は涙に暮れ、放心状態で見守るしかなかったという。見知らぬ赤ん坊からの予期せぬバースデープレゼントだった要らんぞなもし~ それにしても、生まれた時からネタだらけの私って一体…
ネバーエンディングストーリーはまだまだ続くのだが、それはまた別のお話。


幸い、大事には至らず、脱皮後半世紀を過ぎたカエル さなぎ 私は今、パソコンのキーボードをパンパン 肩肩 カタカタ叩きながら、人様には何の役にも立たない思い出を綴っている。残念な産声出身ゆえ、小学生の頃はクラスの男子から青江三奈とからかわれ、コンプレックスを抱いたこともあった。せっかく例えるなら、ダミ声つながりで、若くてきれいな藤圭子にしてほしかったけど、図々しい気がして言えなかった


もしこの時、デロリアンに乗ったマーティーが、「30年後に藤圭子の娘 のデビューCDが800万枚売れ、君は2枚買うよ」とか、「2010年に日本人の野球選手 が、アメリカの大リーグで10年連続200安打の新記録を作るよ」と教えに来ても「なんじゃ、そりゃ?」といぶかったことだろう。大リーグボール養成ギブスなら知っとるけど。



時代や場所は違っても、命宿ってから産声を聞くまで、「無事に生まれますように」と祈る親や家族の気持ちは同じだろう。ベルリンの壁崩壊の頃、劇場で見た「インディジョーンズ3」で、私のお腹をガンガン蹴り、二日がかりの陣痛と難産の果てに登場した娘は、よく通る力強い産声を上げてくれた。カエルを踏みつぶした声も覚悟していた私は、澄んだ声がただ嬉しくて、「ありがとう。よく頑張ったね。」とつぶやいた。


太古の昔から、母親は出産のたび、この痛みを乗り越えてきたのか。分娩室の廊下で四時間以上も、進まぬお産を待ち続けてくれた子沢山の母への感謝が溢れた。その日、テレビからは、ネルソン・マンデラ解放を喜ぶニュースが流れていた。初孫を抱く両親の目尻は下がりっぱなし。ナイス産声の娘は無事成人式を迎えた。





       





「ありがとう」って伝えたくて…1回目から楽しみに見続けてきた ゲゲゲの女房 の最終回が私の誕生日と重なることがわかった時は、なんだか悲しかった。だが、「見えんけどおる」「終わり良ければすべてよし」を象徴する幕引きで聞き慣れた主題歌が流れた時、心は秋空のように晴れ渡っていた。一人一人のスタッフが水木さんご夫妻に寄せる尊敬と愛情と共感が詰まった渾身の作品を、毎朝味わえた幸せに感謝したい。

脚本家山本むつみさんは、これまでの人生のすべてを投下し、全力で書ききったという。一話一話が濃厚で限りなく優しい15分。ゲゲゲ展の原画からもただならぬ空気を感じた。精魂込めて作った本物は、目には見えなくとも、受け手の心にしっかり届くパワーを放っている。理屈ではない。魂だ。


「ゲゲにょ」ファンが集うツイッターの #gegege タグでは、たくさんの共感や感動の書き込みと共に、音楽担当の窪田ミナさんが、その日のBGMをつぶやいていた。安来の義兄役・中村哲人さんや、貧乏時代の同居人・中森さん役の中村靖日さんは、撮影時や打ち上げのエピソード、出演日などをつぶやいていた。水木さんを愛する若き同業者達がドラマに刺激を受け、連日アップした台詞付きイラストは、いつの頃からか ゲゲ絵 と呼ばれるようになり、人気を博した。少女漫画界の大御所・萩尾望都さんが、このドラマのおかげで、やっと両親に認めて貰ったことも話題になった。最終話となった今日のTLはたくさんの「ありがとう」や「だんだん」で溢れていた。


「彼岸花の咲く頃に亡くなった人はご先祖様に守られてあの世に行ける」と、主人公の母・ミヤコ(古手川祐子)は娘に語った。彼岸花の咲く頃に仮死状態で生まれた私は、やはりご先祖様に守られているような気がしてならない。今頃、実家の庭では秋桜(コスモス) やオシロイバナが満開だろう。今日は誕生日。ふるさとの両親や家族にだんだん。ゲゲゲの最終回は心に残る素敵なブレゼントとなった。「だんだん」はふるさと愛媛の言葉でもある。


中学の頃聴き始めた谷村新司の「セイヤング」では、その週、誕生日を迎えるリスナーからの葉書を読み上げるバースデーコーナーがあった。BGMは、強烈なドラムとギターのイントロで始まるノリノリな曲。2枚組なので後回しにしていたホワイトアルバムをやっと手に入れた日、「あれ?この曲、ビートルズじゃったんか~」とウキウキしたものだ。まさか誕生を祝う「Birthday」の次の曲 が真逆の歌詞とはつゆ知らず…


頼りなげな「bir~thday~」のバックコーラスは、当時ジョージの妻だったパティと、ジョンとビビビ交際中だったヨーコ。今でもこの曲を聴くたび、二階のこたつで聴いた関西訛りの「おめでとぉっ」が蘇る。会社勤めの頃は給料日が25日だったので、毎年、給与明細が誕生日プレゼントのようで嬉しかった縁あって同じ日に生まれた皆さんや、通りがかりのお誕生日さん、天秤座の皆さんに「Happy Birthday 」その他の皆さんには「なんでもない日おめでとう」これから先の人生で、今日が一番若い日。毎日がスペシャル いい日でありますように



      お誕生席       Unbirthday     おまけ

2010.10.09 / Top↑