朝、アッシーが済み、ほっと一息。携帯でツイッターを開くと、いつもと違う空気に身が引き締まった。TLには16年前の今日を語る書き込みが続々流れていた。


あの日、私は第二子の出産を控えた幼稚園ママ。揺れは感じなかったが、ニュースの映像に目を疑い、異常な腹部の張りを感じた。お腹の子も緊張し、悲しんでいたのかもしれない。息子もまもなく16歳。震災で犠牲になった乳児や、生まれることなくまだ見ぬ母と天に召された小さな命の多くは、生きていれば同じ学年だったかもしれない。


当時私はダイヤルアップ回線のパソコン通信をROM(読み逃げ)していた。携帯もネットも普及しておらず画像はないがTVや新聞より情報が早く、生の声が読めた。ただ、ライフラインが止まり、避難所の被災者はとてもPCができる環境ではなかっただろう。身内や知人の行方を案じる書き込みが猛スピードで流れていた。今朝のTLに、あの日を思い出した。


東京と現地では温度差が大きい。被災者の思いを読むだけでなく伝えたいと痛感し、ここにRT(リツイート)させて頂くことにする。「満月の夕」は今日TLで教わった。この曲に癒され、励まされた人が多いそうだ。残念ながら関東ではあまり知られていないので紹介する。合掌。


・阪神淡路大震災から今日で16年。犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、いまなお苦しみに直面されている方々に心からのエールを送ります。こうして穏やかな気持ちで冬の青空をながめられることに感謝をしながら。乙武洋匡


・阪神淡路大震災から16年。亡くなった方のご冥福を祈る。あの震災が、どれだけ多くの人の生活や人生を変えたんだろう。私たちは、たまたま災害を免れ生きているだけなんだろうな。だから、今できることをがんばってやらないといけないんだろうな。そんなことを気付かせられた。江川紹子

・今日は16年目がどう報道されているかを確認する日。

・今朝は5時半に目覚めて黙祷。なぜかこの日は目覚しより数秒だけ早く目覚めます。軽い緊張をしているのを感じます。

・東京から関西へ来ると、震災についての雰囲気がまったく違うのを感じる。1月17日が近づくと、緊張する。

・あの日の地震の激しさと、見慣れた街並みが崩れ去った衝撃。日常生活が奪われた辛さ。戦争を直接体験してはいませんが、平和でなきゃ!と身に染みます。震災で生活の秩序が破壊されます。人生設計そのものを変更せざるを得なくなります。


(以下連続RT)平成7年1月17日午前5時46分…今年で16年、阪神淡路大震災でお亡くなりになられた6400余名の御霊に、また被災されたすべての方に、心よりお見舞い申し上げます。黙祷

あの日、私は大阪市内からたまたま立ち寄った宝塚市内の姉宅で被災。居間でウトウトしていたら、物凄い地鳴りと揺れ。物が倒れ、すべて割れた。後で知ったが私の枕の上にはエアコンが落下していた。 揺れが収まり、足の踏み場もない部屋から這い出し、窓を開けると辺りは真っ暗。あちこちで怒鳴り声と叫び声が響き、誇りっぽい空気とガス臭さで大変な事になっていると感じた。冬の朝なのに寒さは感じなかった。


家族の無事を確認し、倒れた家具と割れたり壊れたりした物を押しやり、何とか外に出られたのは夜が明け始めた頃。サイレンの音や瓦礫を踏み分ける音が聞こえ、煙が見えた。特に神戸方面がひどく、やっと被害の大きさがわかった。
明るくなって周りの状況が判るにつれ、とんでもない事が起こったと知った。姉のアパートは全体に傾き、向かいの家は潰れ、数人が救出作業をしていた。電柱は傾いたり倒れたりで、道路は陥没していた。


目の前に倒壊家屋に埋まってるのに…私は連絡要員だと言い聞かせ、動き出した。火事の家もあったが消防は来る気配もなく、水も出ず、住人が茫然と立ち尽くしていた。普段なら実家までバイクで20分位だが一時間以上かかった。幸い実家は無事だったので、水と食料を積めるだけ積み、トンボ帰り。向かいの住人が遺体で運びだされるところだった。遺体を運ぶ人、火事を茫然と見つめる人、倒壊した家を片づける人…不思議なことに、涙を流す人はほとんど見なかった。人間あのような究極の状況に追い込まれると感情より本能が先に立つんだろうと感じた。私も涙が流れる事はなかった。


お昼に実家に帰ると、母がおにぎりを大量に作ってくれていたので持ち帰り、姉のアパートや近所の人に配った。その日初めての食事という人ばかりだった。食料を持ち寄り瓦礫でかまどを作り、テントを張り、既に協力体制が生まれていた。午後はずっと実家と姉宅を往復し、物資を運んだ。倒れた電柱は住民が片づけだし、陥没した穴は瓦礫を放り込んで補修した。むき出しのガス管からの漏れが恐怖だった。


暗くなっても電気は点かず、真っ暗になっても救援は無く、避難所の小学校は満員。瓦礫を燃やし暖を取り、エンジンのかかる車に子供を寝かせ、姉夫妻は近所の人たちと焚火を囲んで夜を明かし、私は実家へ。当日の昼頃には、皆、これは誰にも頼れず自分たちで何とかしなきゃと感じていた。被災者の事そっちのけで震災の原因は?と放送したテレビ局への怒り。その夜は、揺れ・音・空気・煙・臭い・遺体・血…色んな事が思い起こされ、中々寝付けなかった。翌日、大阪に連絡しようと北上。三田辺りでやっと公衆電話が繋がり、勤務先に消息を伝える事が出来た。


二日目は近所の人にバイクを借り、物資搬送。帰りは姉一家を一人づつ後ろに乗せ、実家へ避難させた。車で大渋滞。なんでこんな時に車?緊急車両通さなあかんやろと何度も怒鳴りつけたくなった。災害時、車は移動より家代わりだと思う。


三日目はバイクに物資を満載し神戸へ。近付くにつれ被害が目立ち始める。特に高速の倒壊現場はひどかった。下敷きになり燃えたトラックには焼死体がそのままに、倒壊家屋には家族が埋まってますという張り紙。国道43号線は悲惨な状況。三日目に辿り着いた三宮は瓦礫だらけ。ビルが横倒しになり、センター街は看板が垂れ下がり、物が転がって歩くのもままならない状況だった。


震災の時協力してくれ、神戸の親戚を探しにバイクで連れて行ってくれた人が今の旦那。震災体験の強烈さを風化させるなんて出来ない。当時言えなくても最近になって言える事もあるので年に一日だけ語るようにしている。(了)



・東京にいた。地震には気付かず、TVでどこかの内戦みたいな光景が。実家は四国だが兄や親類が阪神地区。家に電話、とりあえず全員無事。御影は断水で生活困難になり、ポートアイランドは液状化した。

・あの時お腹にいた娘も今年は16歳。震災直前と、震災一年後~復興時代、関西にいたので感慨深い。鎮魂の祈りを捧げます。


・激震指定地域の周辺、比較的被害の少なかった所の悩みは、物が無いって事。お金があっても物がない。スーパーやコンビニの商品はあっという間に消えた。水を手に入れるのも大変。


・ライフラインが止まり、ラジオだけが頼り。倒れた高速は後日現場を通り、初めて見た。映像がなくて知りたい事が判らず、みんな困り果てていた。


・実家は全壊。生活や自宅を元通りに再建するまで5年かかったが、地震が縁で友人だった彼と結婚。色々あったけど、悲しい事だけでなく地震が取り持ってくれたこんな人生もある。


・私たち八百屋仲間も毎週野菜を積んで神戸にトラックを走らせた。落ちた高速、潰れた家やマンション。公園で暮らす被災した人達。その光景を脳裏に焼き付け、戻ってから周囲に伝えた。あの時ほど人と人のつながりに感謝したことはなかったと思う。


・神戸の実家の母は、苦しくなる、思い出したくないと、震災関連番組や報道を今も避けている。言葉にすることが出来ない苦しみを抱えている人たちも多いと思う。思い出すと苦しいから震災特番も見聞きしたくない人たちも結構いる。そういった苦しみにも思いを寄せたい。


16年前の今頃、月は不気味に赤く東灘の街を照らしていた。あの夜は、妙に静電気が激しかった。はっきりと空気を覚えている。あの瞬間、窓枠が青光りしたのは何千もの魂が天に昇った、その輝きだったのかもしれない。猛烈な甲高い破裂音と共に食器棚は床に叩き付けられ、大型テレビが闇の中で部屋の中をゴロゴロと飛び跳ねていた。天井がきしむ音や、ピキッ!ピキッ!と窓がひび割れる音色が不快だった→


→やがて神戸の街が白み始め、警報ベルが複数鳴り響いていた。静かな空気の中、不協和音を響かせながら。毛布を頭から被った人々が、亡者の行進のように、避難場所の住吉小学校の方に向かって歩いていた。崩れた病院の屋根瓦の上に、年老いた医者が呆然とパジャマ姿でしゃがみ込んでいる。きっとご家族が中に…。ずっと、阪神淡路大震災当時のニュース報道映像を避けて過ごしてきた。無意識に。目をそらせて。見ると涙が出てくる。息が苦しくなる。でも何も無かったようにすることは出来ても、それがなかったことにはならないことに気づき始めた。もし16年前のあの朝に戻れたら、もっとたくさんの人を救えたかも知れないという思いが、毎年頭を巡って目眩がしそうになる。


・被災者の裾野は広く、ちょっと壊れたりライフラインが止まったりしている自宅や親戚友人宅でじたばた過ごした人たちがたくさんいた。今後都会の災害ではそういう人たちが大量発生するはずだ。


・地震の前夜が真っ赤な月だったから今でも月が赤いと怖い。ケースから出して楽器を剥き出しで置いておくのが怖い。地震で壊れたギターを思い出し、パニックになる。


・全壊は免れたが家の中に隙間が出来、階段がずれ、壁は落ちそうで外壁はひどい状態。余震のたび、ギシッと音がし、潰れはしないかと怖かった。 一緒にいた猫は、そのたびにおもらし。

・近所の人との繋がりが有難かった。繋がりによって周りの被害状況が早くわかった。

・震災がきっかけとなり外国へ移った人がいた。周りの人が亡くなり、その人も職を失い、「だったら好きなように生きよう」と。

・もう、物は要らないとあの時つくづく思ったにもかかわらず、また不要な物が溢れている。 身軽が一番。健康が一番。どんな時も強い自分であるには、前向きな、そしてくじけない明るさかな…。 震災の日に思うこと。


・避難所で見たTVで、もし阪神淡路大震災レベルの震災が首都に起こったらというシミュレーション。当時は報道に対して腹立つ事ばっかりやったけど、今なら冷静に見れる気がする。神戸の教訓を生かしてほしい。

・関西夕方6時のニュースは全部阪神大震災特集。どんだけ重たいのかを、神戸市民じゃなかった私達家族はニュースで学んでいる。幼稚園でも先生がお話してくれたそうな。学んで伝えてくのが今ここで生きる人達のやるべき事。


・現地で生き死にを体験した人も、遠くから惨状を眺めるしかできなかった人も、人生において大切な教訓をあの日を境に一気に学び取ったんだなあと今日のTLで実感。

・一日でも健やかに生き延びていてください。そして当時の事や必要な備えを語り継いでください。生きていてくださってありがとう。


・関西を離れて今朝の追悼の様子が見れなかった方へサンテレビさんの 映像


今日は百恵ちゃん52歳の誕生日。「しなやかに歌って」には「80年代に向かって」のサブタイトルが付いている。





  満月の夕   19歳   みんなひとり    その街のこども





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2011.01.19 / Top↑
1995年1月17日。
阪神・淡路大震災から13年が経ちました。
あの震災を経験された方も多いことでしょう。
私も関西に自宅が損壊した親戚があるので、他人事ではありませんでした。
二人目の出産が近づいていた頃で、あちこちで黒煙がたちのぼる無惨な映像にショックを受け、心の痛みでお腹が張ったことを覚えています。


この年は、3月に地下鉄サリン事件やオウムの騒ぎがあり、
今年の漢字が選ばれていました。


ご家族や友人を亡くされた方や、不自由な生活を強いられることになった方々の13年は、長かったのでしょうか。短かったのでしょうか。
ローンレンジャーとしては、住めなくなった家のローンやリフォーム、次の家のこと、年金暮らしのお年寄りは…と、いろいろ考えてしまいます。


'80年代、神戸のポートピアや異人館、三宮、六甲山などに行きました。
坂が多く、とても美しい街でした。
被害に遭われた方達は、高速道路が壊れ、ブルーシートに覆われた街の中、どんなに辛い思いをされたことでしょう。
当時 イチローのいたオリックスのユニフォームの肩に頑張ろう神戸と書かれていたことを思い出します。


この13年間、住民や関係者、ボランティアなど、数知れない人々が、また元の美しい街に戻そうと尽力されてこられたことを思うと、頭が下がります。
新潟地震の山古志村の人達とのネットワークもできていて、山古志の鯉が神戸で泳いでいるというニュースを昨日の夕刊で読み、なんだか嬉しくなりました。


今日は、昨年のレコード大賞受賞曲で、身長168cmの小渕(こぶち)さんと、193cmの黒田さんの二人組、コブクロ 蕾(つぼみ)です。


この曲は、
リリー・フランキーさんのベストセラーをドラマ化した、
東京タワー~オカンとボクと、時々オトン の主題歌で、
ヴォーカルとギターの小渕健太郎さんが、亡くなったお母さんを想いながら作った曲だそうです。



震災で命を落とされた皆様のご冥福を心からお祈りいたします。



  歌 詞  
    ポートピア  光の森  7/17の日記




 


 

2011.01.17 / Top↑
寒中お見舞い申し上げます。
鏡開きも終わり、お正月の話はもう時効かと思われますが、せっかく12年に一度の 卯年、ぴょぴょんのぴょんと うさぎソング特集いっちゃいましょう。


うさぎが登場する歌で一番に思い出す曲といえば文部省唱歌の横綱「ふるさと」。

♪うさぎ追~いし かの山~ 小鮒釣~りし かの川~

小さい頃、「ん?うさぎ美味し?」と頭にクエスチョンマークを付けて歌ってた方、白線の内側までお下がりください。私が生まれて初めて歌った曲は「はとぽっぽ」、初めて踊った曲は「うさぎのダンス」だったそうです。(どーでもE情報ですみません)スタッカートのリズムがよほど気にいったのか、

♪そそ~ら そ~らそ~ら うっさぎ~のダ~ンス~

と歌うと、手を兎の耳にしてピョンピョン跳びはねるので、母や祖母が面白がって歌う歌う。ピンクレディの前奏に踊らずにはいられないアラフォー女子よろしく、条件反射で跳ねる跳ねる。娘が幼い頃、朝ドラテーマのドリカムに合わせて跳ねるのを見て、「こんなだったのかな~」と、遠い昔に思いを馳せたものです。あわてんぼうの蟹の散髪屋とお客の兎が織りなすシュールな物語は、78回転の落とすと割れるレコードで聴きました。私の田舎は空襲に遭わなかったので、おそらく戦前の物だったと思われますが、今もあるのかな?


うさぎは続くよどこまでも。小三の時、国語の教科書に載っていたのは北原白秋の「待ちぼうけ」。ストーリー仕立ての愉快な詩。担任のI先生(♂)が美声を披露してくれ、私たちは先生の「さん~の~が~はい(一、二、三、はい)」に合わせ、声高らかに歌いました。


♪ド~レッミ ソンミレドッレ ミッミレッレド~ 

♪待っちぼうけ~ 待っちぼうけ~ ある~日 せっせ~と 野良稼ぎ~

♪そこ~へ兎が 跳んで~出て~ ころ~り 転げ~た 木~の根っこ~



自習の日、やんちゃな男子がこの曲を歌い始めたら、あら楽しそうすぐにクラスでノリノリ大合唱となりました。よほど騒がしかったのか、次の日、「昨日歌った者、立て!」と怒鳴られたので「は~い」と立ち上がったら、ちゃっかり座ったままの人達もいて、「あれ?」スタンドアップ組はその場で罰ゲームのように歌わされましたが、気分は乗らないし、うつむいてぼそぼそ歌う歌はちっとも楽しくない。同じ曲を歌っても、その場の空気によってずいぶん変わるんだな、と感じました。


小学生の頃は自習の時間が楽しくてついつい遊んでしまい、あとでいつも担任に怒られていた記憶があります。遊んでばかりのラベ太郎にダメ出ししながら、「人のこと言えんよな~」と冷や汗かいとったんは私だけじゃろか



             





初めて覚えたインパクトある外国人の名前は「マクレガー」さんでした。ピーターラビットのお話に出てくる隣人で、畑を荒らすやんちゃなピーターをつかまえに来るおじさん。子供の頃はピーター目線ではらはらどきどきしながら読み、エンディングで家に帰るとほっとしてました。今でもあのイラストを目にするたび、'60年代にタイムトリップします。娘が幼稚園の頃、クラスで飼っていたウサギの名前もピーターで懐かしかったです。


最近は、国籍を問わず、ミュージカルばりに集団で歌い踊るグループがひしめき合っています。ダウンロードが主流になりCDが売れなくなったそうで、地元のショップも規模を大幅に縮小しました。そんな中、去年のシングル売り上げベストテンチャートを二分したのが、紅白司会の5人組 嵐と、秋葉原を拠点に大ブレイクの団体さんAKB48(エーケービーフォーティーエイト)。かたやジャニーズ事務所、こなたおニャン子の仕掛け人 秋元康プロデュース。


「会いに行けるアイドル」AKBは3年前 川の流れのように の日記でちらっと紹介しました。秋葉原のステージを初期と最近の二回観に行き、主催誌「The 寂聴」で対談した瀬戸内寂聴さんが、パワフルなステージや高いプロ意識を絶賛していました。私も旬のオーラや勢いをびんびん感じます。おニャン子ともモー娘。とも違う、意志の強さを感じるきびきびした動き。こちらは親目線で見てしまいます。「朝倉南 40歳」じゃないけど、昔、コミックで登場した時は斬新に思えた「みなみ」ちゃんという名前が二人もいることに時代を感じます。


「AKB?ふん、興味ないね」という大人歴の長い方、試しに1曲聴いてみてちょ。時代の閉塞感をぶっとばす秋元御大の歌詞に、歌いやすくノリノリのメロディ。元気が出ます。昔アイドルにはまったことのある方なら楽しめるかも。ミーハーおばさんはAKB世代の娘と一緒に歌ってます。


1/21(金) スタジオパークからこんにちは(NHK) に、中心メンバーの前田敦子(「龍馬伝」で龍馬の姪役)、高橋みなみ(MC担当)、篠田麻里子(ショートカットののっぽさん)が登場します。


とりとめもない話でのスタートですが、今年もマイペースでいきますのでどうぞよろしくお願いします。寒い日が続いていますが、お身体にお気を付けください。週末はいよいよセンター試験。中高の入試もこれからが正念場。受験生ファミリーの皆さん、息抜きに。うさぎソングやAKBの曲が、ホップステップジャンプの後押しをしてくれるかもしれません ウサギ跳びは見なくなったなぁ。去年の干支だった虎は年明けから全国に増殖を続け、温かい人の情けをランドセルや文房具に乗せ、全国の恵まれない子供達に届けている模様。品物に添えた手紙の署名がプロレス漫画 タイガーマスク の主役で施設育ちの伊達直人だったことも話題になりました。

今、頭の中ガンガン鳴ってるヘビーローテーションの曲は何ですか?


     

    ヘビロテ  初心者  馬尻尾  桜の栞  早春  舶来兎


    ダンス  床屋  他力本願  爆睡  国産兎  伊達直人
 
2011.01.13 / Top↑

Dream Power ジョン・レノンスーパーライヴ(12/8 日本武道館)の放送予定


BS朝日
2011年1月2日 21:00~22:54

JCNグループ
2011年1月1日 20:00~22:00
2011年1月2日 20:00~22:00(再)


<Twitterより>

いま武道館からの帰り道。ヨーコさん本当に元気だった。日本は世界の片隅。そのことに誇りを持って、小さな小石の一粒となって、世界を変えていこう!あきらめないで、あきらめないで!心にしみた。湯川れい子

すべての人々が平和に暮らしているところを思い描きましょう。10秒間。1時間。1日中。どんな場所でも、どんなときでも。オノヨーコ


・ 最高でした!また来年も行きたいです!
・ ほっこりした^^
・ 感無量。どのアーティストも素晴らしく、ヨーコの77才とは思えないパフォーマンスに固まりました。

・ 楽しいし歌いまくりでストレス吹き飛びました。みんなジョンが好きなんだな~と感無量のライブでした。来年も行きます!

・ 行ってよかった。昨年同様ヨーコさんの小石族の話。「連絡をとっていないお姉さんに「元気?」って電話するだけでもいいのよ」って言ってた。


<マイつぶやき>

・ アリーナ2列目。ステージを左斜め下から見た。顔の作りもよく見えたが、目の前のスクリーンは仰角で首が疲れた。今年もハートフルで素晴らしいライヴだった。会場から数回つぶやいたがアップの瞬間消えてしもた。なんでやねん。

・ 若い女性が多く、終了後「楽しかった♪」の声がたくさん聞け、嬉しかった。10年で100校の目標見事に達成。来年は誰が出るのか楽しみ♪






         ジョンレノンスーパーライヴ



     セットリスト  


   吉井和哉×奥田民生×斉藤和義
   (Just Like) Starting Over
   Woman

   BONNIE PINK
   Lucy In The Sky With Diamonds
   All You Need Is Love

   Cocco(MC)
   Dream Powerプロジェクトの紹介
   ベトナム学校訪問のエピソード

   堂珍嘉邦(CHEMISTRY)
   Mother
   Oh My Love

   曽我部恵一
   Isolation
   Cold Turkey

   東京スカイパラダイスオーケストラ
   I Feel Fine
   (Just Like) Starting Over

   吉永小百合(ナレーション)
   Dream Powerで建設支援されたフィリピンの学校に通う生徒からの手紙

   箭内道彦プロジェクト (箭内&高橋優)
   How?(日本語)

   LOVE PSYCHEDELICO
   Stand By Me
   Help!

   鈴木京香
   LOVE (朗読)

   ゆず
   Imagine(日本語)
   Don't Let Me Down

   浅井健一
   Come Together
   Day Tripper

   斉藤和義
   Jealous Guy(日本語)
   Mind Games

   鈴木京香
   Imagine (朗読)

   奥田民生
   Glass Onion
   Little Child

   オノヨーコ
   Rising

   吉井和哉
   Yer Blues
   Across The Universe(日本語)

   COCCO(MC)
   出演者紹介&オノコード

   全員
   Happy Xmas (War Is Over) ~Power To The People~Imagine



今年も12月8日に日本武道館へ行った。ビートルズが日本公演を行った場所にジョンを敬愛するミュージシャンが集って彼の曲を歌い、俳優が詞を朗読する。フィナーレでは客席とステージ間で、ペンライトを使って「I Love You」のメッセージが交換され、会場には夜空の星のような光の輪が広がる。一つの灯りは小さいが集まると大きい。


今年はアリーナ2列目だったので、目の前はすぐステージ。近くには訓練でもされたのか、ノリノリソングにも微動だにしない警備ブラザーズ。普段どんな音楽を聴いているのか気になった。


一緒に口ずさみながら、振り返ってみんなの表情を見る。一面に広がる笑顔の花は何度見ても嬉しい。参加して良かったと思う瞬間だ。ステージや客席にリピーターが多いのもこのライヴの特徴である。


売上金は世界の恵まれない地域の子供達に教育の機会を与えるための学校建設と維持に充てられる。去年までにアジア、アフリカ、ラテンアメリカの26ヶ国に95校がプレゼントされ、10年目の今年は更に2ヶ国15校増える。当初の目標は5年で50校。運営が大変で10年続くとは考えられなかったそうだ。


テレビ局などが鳴り物入りのチャリティで建てた中には、建設だけが目的で、その後は放置され、荒れて廃校となった所も少なくないそうだ。


ドリームパワーチームは、地元の人達とコミュニケーションを取りながら、水道を引き、建物を建て、設備を整える。教師を探し、教科書、文房具などを調達、メインテナンスを続けるため、廃校は一つもないそうだ。スタッフの労苦は計り知れないが、現地の人達にすっかり馴染むようだ。


ライヴでは全校のスライドがジョンの曲に乗せて上映され、学校の様子が語られる。戦場カメラマンの渡部陽一さんが言うように、子供達の笑顔が何よりの喜びだ。沖縄出身のCoccoは、4年前の初参加にあたり、ベトナムの小学校を訪ねた。おみやげにもらった綺麗な色の手織りポシェットを参加のたび身に付け、初めて行ったのに「I Love You」(学校を建ててくれてありがとう)と言われたことを話した。今年は独特のテンポと口調で説得力溢れるMCが大好評だった。


ここでライヴの歴史をちょっこしおさらい。
第一回目の開催日は2001年10月9日ジョンとショーンの誕生日。(当時米大統領はブッシュJr)9・11から約1ヶ月経ったライヴ前日、多国籍軍によるアフガニスタン空爆が始まる。戒厳令下のアメリカでは「Imagine」が湾岸戦争(ブッシュ父)以来の放送禁止曲に指定されていた。宗教も国境も人種も争いもない世界で平和に暮らす人々をみんながイメージすればこの世は一つになるという歌詞が、戦意を喪失させるという理由で目の敵にされている。。。


ニューヨークから多くの人々が避難する中、ヨーコはあえてダコタに留まり、アメリカの市民を励ます道を選び、来日を断念。現地からの中継による参加となった。一回目はリンゴとジョージ・マーティン、二回目はポールがビデオメッセージを寄せたそうだ。


このライヴのもう一つの特徴は、出演者がジョンの歌を歌うこと。選曲は自由、自分の言葉を乗せて歌ってもよい。日本語でもオリジナルソングに聞こえてしまうのは、彼等がジョンの魂を受け継いでいるからだろうか。常連の斉藤和義さんは「ずっと好きだった」のPVをGet Backセッションのそっくりさんにしちゃってる。


吉井さんの「Across The Universe」は「Mother」とコラボした不思議な訳だったが、格好いいからよしいとしよう 毎年マニアックな選曲が楽しいギター小僧の奥田さん、今年は原曲が2分程の「Little Child」をハードロック仕立てにアレンジ。延々続くギンギンのギターソロに「Back To The Future」の主人公マーティーがかぶって見えた。東京スカパラの賑やかな演奏も楽しかった。


詞の朗読が始まったのは2003年から。初回は 秋山真之 本木雅弘さん。リハーサルから鬼気迫る集中力で言葉の選び方一つにもこだわりを見せ、スタッフ感動。モッくんのおかげで、俳優の朗読が続いているそうだ。感謝。去年出演した松山ケンイチくんは、上映中の「ノルウェイの森」で主役を好演している模様。まだ見てないけど。鈴木京香さんの凛とした美しさを間近に見られたのはラッキーだった。ジョンのファンで好きな曲は「Across The Universe」。オノコードは2004年に登場した。


ヨーコさん(以下敬称略)の「Rising」は圧巻。まさに魂の叫びだった。ジョンを呼ぶ祈祷師のイメージ。ジョンがいつもそばにいると言うが、たしかにジョンはいるような気がした。


「また来ちゃった」と元気に登場したヨーコはフィナーレで出演者一人ずつと向き合い「i ii iii」(I Love You)と照らす。笑顔の人がいれば、うつむく人もいる。一番シャイだったのは顔写真入り土浦ナンバーのツアートラックを連れて駆けつけた斉藤和義さん。(去年は「ゴールデンスランバー」の映画音楽担当)片思いの女子を前にした中学生のように目をそらすので、ヨーコは面白がって「i ii iii」を連発し、場内大爆笑。


「一人でできることには限界があるけど、毎日誰か一人を喜ばせてあげることはできるから、しばらく会ってないお姉さんへの電話でもいい。何か見つけて下さいね。小石を投げれば世界に広がります。小石族になりましょう。10年続くとなんだか家族みたいね。また来年も会いましょう」


ヨーコ77歳、瀬戸内寂聴さん88歳、日野原重明さん99歳。今年講演会でお会いした大先輩は皆、頭脳明晰でユーモアがあり、健脚だった。年寄りぶらず、重ねた年齢を味方に付ける姿に励まされた。ヨーコの声や話し方、揺るがない根っこは寂聴さんに似ている。豊かな想像力や好奇心、そして行動力。戦争をくぐり抜けてきた人間の強さを思う。


大きな玉ねぎを出て九段下の駅へ向かう。今年も同行のオンデンさんやKEIKO☆さんともども、様々なハードルを乗り越えて今年もこの日を迎えられたことに感謝。来年もまた参加できますように。


過去のスーパーライヴの詳細データや、主催者と吉井和哉・奥田民生・斉藤和義氏による座談会は、12/8発売の別冊カドカワ「ジョン・レノン 夢の絆」でどうぞ。



      Imagine     ラブ     宇宙

2011.01.12 / Top↑